商品・販促品・広告の歴史

夜汽車に揺られ、リュック担いで東京へ。

昭和22年、配置販売から薬局販売へ、流通の転換をきっかけに、マスメディアへの進出を決断します。しかし、終戦まもなくの混乱期、新聞は用紙不足で割り込める枠などありません。しかも、東京への旅は一晩がかりの時代です。二代目池田嘉吉は自ら電報通信社(現・電通)の門を叩き、白米や現金で支払いをする条件で、スペース獲得に乗り出しました。背中に現金入りのリュック、足にゲートル姿で富山と東京を往復する嘉吉の熱意が通じて、広告紙面確保の報告が届きます。明治や森永と並んで、ムヒは一流広告の仲間入りを果たしたのです。

ムヒは無比

「比べるものがないほどすぐれた効き目」の商品という意味を込めてつけられた名前です。「唯一無比」、「天下無比」が語源です。

社名「池田摸範堂」の由来

「社会の模範となる会社になろう」という意味を込めて、池田嘉吉(初代社長)が命名しました。